2014年10月25日土曜日

 将棋から得られる能力 五、コミュニケーション能力の向上

五、コミュニケーション能力の向上


町の将棋道場には老若男女問わず様々な世代の人たちが集まっています。小中学生にとって、異なった世代の方々と定期的に接して何かをするという機会はなかなかないと思います。

もしかしたら学校の先生や友人の親、習い事の先生くらいとしか大人と接してないかもしれません。ところが、将棋道場に行く事により20代から70代80代の方々と接する事が出来ます。


先ほど述べたように将棋の対局は一局でも1時間以上と長時間に及び、年齢の違う人たちと1時間も面と向かってゲームについてのバーバル、ノンバーバルなコミュニケーションをする事になります。

これに加え、さらに将棋には対局後に感想戦というものがあります。


感想戦とは、対局終了時に一局を振り返ってお互いの意見交換や疑問点をぶつけ合う場です。ここで大事な事は、この局面で自分はこう考えていたとしっかり自己主張する事と、相手の主張をよく聞いてそれを理解し、しっかりと受け入れてから、またそれに対しての自分の意見を考えて主張する事であります。これによって将棋の実力が向上するだけでなく、高度なコミュニケーションを展開する事が出来ます。


このように多世代の方々とコミュニケーンを図る事の出来る能力は、実社会においてとても重要で不可欠な能力です。

ここでいうコミュニケーション能力とは、友達と楽しくおしゃべりをする能力ではなく、物事に対して自分の意見をしっかりと持ちそれを主張し、また相手の意見もしっかりと聞き入れて建設的な議論をする能力の事を指しています。


実際、多くの企業が新入社員に求める能力として「コミュニケーション能力」を真っ先に挙げており、社内及び他社とのプロジェクトや、国内外の営業においても、コミュニケーション能力は企業が求めている極めて重要な能力であると考えられます。


将棋にはまさにそのような能力を養う事の出来る場が、感想戦を含め、多々あるわけです。
よって、世代を超えた方々と接してコミュニケーションをとる機会を与えてくれる将棋は、とても優れた競技だと考えられます。


私自身も、様々な方々と触れ合いコミュニケーションをとれた事は、とても貴重な財産になっていると自負しております。

以上、将棋に打ち込む事により身につけられる能力として、礼儀正しさ、集中力、決断力、論理的思考能力、コミュニケーション能力の五点、及びこられを身につける事によりどのように成長し社会に影響を与えるかを簡単にみてみました。

将棋から得られる能力 四、論理的思考能力の向上

四、論理的思考能力の向上

将棋という競技は論理と論理のぶつかり合いです。

自分はこういう手を指す、なぜならこうこうこういう理由があるからである。

そしてこれに対して相手はこうくるだろうから、
そこで自分はこの手を指して…とひたすらロジックを組み立てていきます。

これを集中して繰り返していく事により論理的思考能力が向上し、
それが数学や理科の勉強でも役に立っていきます。

また、手を読んでいく途中でほぼ毎回「場合分け」を考えなくてはなりません。

「ここは絶対にこの一手」という局面はかなり少なく、
ほとんどの局面では指し手の選択肢が多数あり、
その都度それらを場合分けして考えなければならないのです。

つまり具体的にどういう事かといいますと

「この局面では①ここの歩を動かす②この金を引く③…のどれにしようか」

と考え、それぞれの手に対して相手の出方を考え、
さらにそれに対して自分の手を考え…と繰り返していき、

それらを一つ一つ自分が有利になるのか不利になるのか、あるいは五分五分なのかを場合分けして考えていくのです。

場合分けは数学において中学生レベルの問題であり、
小学生にとってはかなり難易度が高いと思います。

しかし、将棋を指す事により常に場合分けを考えるため、自然とこのような力が身についてきます。


勿論、この場合分けをするうえでも、正確な読みと論理的に形勢を判断する力が必要であり、
これらの相乗効果で論理的思考能力をますます高める事が出来ます。

さらに、論理を展開しながら手を指していく中で、相手が自分の読みに全くない手を指してきたりもします。

それがもし良い手だったとすると「なるほど!こんな手があるのか」と自分の論理の甘さを痛感させられます。

しかし、もしこれにより勝負に負けたとしても、優れた論理を対局中に自然と吸収しているため、結果的に論理的思考能力の向上につながっていきます。

前述の日本将棋連盟のアンケートでもプロ棋士126人中、小学生時代の算数の成績が五段階評価で5だった人が75人、4だった人が31人回答しており、8割以上のプロ棋士が算数を得意として
いた事が分かります。


しかし多くのプロ棋士が小学生時代算数を得意としていた一方で、現代社会を見てみると、今の日本では算数を得意としている子供の数は多いとは言えず、むしろ学生の理科離れが大きな問題となっています。


理系の学生数が減ってしまうと、自ずと技術者の数も少なくなってしまい、現時点でも既にIT業界ではシステムエンジニアの数が不足しています。また技術職に限らず、企業は論理的に物事を考えられる理系の学生を重宝している傾向にあります。


理系不足になってしまう要因の一つとして、学校教育における算数や数学は、一度つまずいてしまうとその先も分からなくなってしまう事が挙げられます。

さらにそこで問題となるのが、つまずいてしまいそこで「自分で考える事をやめてしまう」事だと思います。

そうするとますます算数や数学が分からなくなっていき、気付いた時には授業に全くついていけないという状況に陥ってしまいます。

しかし、将棋により論理的思考能力の高い学生がたくさん育てば、仮に勉強していく中でつまずいたとしても、普段から論理的に考えるという行為をしているため、考える事をやめずにそこから立ち直れると思います。

私自身も小学生の頃、一番得意としていた科目は算数でした。しかし、中学生の時に因数分解でつまずいてしまい苦労しましたが、そこで考える事をやめなかったため、数学を得意科目とする事が出来ました。

子供達に将棋を教える事により、日本全体において数学の得意な学生がたくさん育っていく可能性は十分にあると思います。そうなれば、日本の抱えている理科離れ及び技術者不足という深刻な社会問題を、将来的に解決していくのではないでしょうか。

将棋から得られる能力 三、決断力

三、決断力

将棋界の第一人者である羽生善治さんは、
前途のホームページ内で以下のように述べています。


「決断する時に必要なのは、他人のせいにしないで、自分で結果を受けとめるという覚悟です。決断した結果が自分に回ってくるという体験を将棋で重ねる事で、決断力が磨かれていきます。」


将棋の指し手を決めるのは他でもなく自分自身であり、
自分の失敗を何かのせいにする事は出来ません。

また、「待った(一度指した手を戻し他の手を指す行為)」は当然反則であるため、
一度手を進めたらもう後戻りする事も出来ません。


つまり、常に自分の指し手に責任を持って決断しなければならないのです。

これらの事を日々将棋で積み重ねる事により、
自己責任が強く決断力の高い人間に成長する事が出来ます。



この羽生さんの言葉を実社会の例で置き換えるならば、
何か失敗したとしてもそれを組織や他人のせいにせず、
自分でそれを受け入れて次に活かせる人間になる事が出来るという事であると思います。


このような人間になるためにも、日々決断力を磨く事はとても有意義であると考えています。

私自身も、小さい頃から将棋に打ち込んできたためか、自分の決断がすべて自分に返ってくるのは当然の事だと思っていました。そのため実社会における人生の分岐点でも、自分で十分考慮したうえでの道を選んできたため、「あの時ああしておけば良かった」などの大きな後悔はあまりありません。


決断力という力は、「決断力を身につけよう」と思っても、では普段から何をやればいいのか分からないものだと思います。そのような決断力をしっかりと身につける事の出来る将棋は、教育上とても優れた教材ではないでしょうか。

将棋から得られる能力 二、集中力の向上

二、集中力の向上


将棋の対局は一般的に大会で一局1~2時間ほどかかり、
小学生の全国大会でも1時間前後かかる事も珍しくありません。

これはお互いの持ち時間が30分~40分あり、
さらにそれを使い切ると一手30秒未満で指すためです。

また、初心者の小学生低学年同士の対局でも、
決着がつくのに50手前後はかかるため、
対局時計を使わずとも最低15分以上はかかります。


小学生低学年の子供を15分大人しくさせるのは容易な事ではないと思いますが、

将棋に打ち込んでいる子供達はこれを簡単にやってのけています。


集中力の向上は、学問や運動などあらゆる分野で自己を啓発するうえで、
とても大きな力になっていきます。

これこそが、礼儀とともにより良い人間形成をしていくための重要な要素だと考えております。

2009年に日本将棋連盟がプロ棋士を対象に行ったアンケートでも、
将棋を始めて良かった事として、プロ棋士161人中95人が「一つの事を集中して考えられるようになった」と回答しています。

(日本将棋連盟ホームページ羽生善治×茂木健一郎特別対談授業「将棋は脳を育てる」参照)

将棋から得られる能力 一、礼儀正しさ

将棋は礼に始まり礼に終わる競技です。

対局を始める時は

「お願いします。」

と両者共に頭を下げ、
対局が終わる時には敗者が

「負けました。」

と自ら負けを認めて頭を下げます。

これに対し勝者は喜びをあらわに表現するのではなく、

「有難うございました。」

と一礼しお互いの健闘を称え合います。

特にこの敗者が能動的に「負けました。」と頭を下げるという行為は、
他の競技ではなかなか見受けられない事だと思います。

自ら負けたという事実を認めるのは本当に悔しい事ですが、
この悔しさをぐっとこらえて相手に敬意を払う姿勢が、
人として成長するうえでの大きな力となっていきます。


礼儀正しさを身につけるという事は、まさに教育の原点であると思います。

伝統文化から礼儀を学ぶ事により、人間形成の土台をしっかりと構築出来るのではないでしょうか。